黒髪ロングイベント参加作品

   【秋夜に艶めく君は罪】
                                       SS担当:mattio
                                       CG担当:サンぽん

「澪ちゃ~ん! お団子まだぁ?」
 私の大切な人が持ち前の可愛い声音で駄々をこねる。
 綻ぶ顔を縁側へと向けたら、うつぶせて足をパタパタさせてる膨れ顔の彼女と目が合った。
「もう四度目だぞ、そのセリフ。そんなに食べたいのか? お団子」
「にひひ~。だって澪ちゃんの作るものは絶対美味しいんだもーん」
 にんまりと笑った唯が、縁側を左へゴロゴロ、右へゴロゴロ。
 こんなに見ていて飽きないコが同い年にいるなんて。本当にあの学校に――軽音部に入って良かった。
 ……なんて、恥ずかしがりやな私は口が裂けても言えやしないのだけれど。
「ほら、できたぞ。おまちどおさま」
 私が言い終える前に。
 いつになくすばやい身のこなしで唯はもう私の目の前にいて、うるうるした目で手元のそれを観察していた。
「おぉ~! ほ、ほんとに美味しそう……」
 大きな目をまん丸にして。よだれも垂らさんばかりの感極まりぶり。
 ……それくらい、私に夢中になってくれたらいいのに。
 ちょっとだけ魔が差して、お皿を持ち上げて唯の視線からお団子を外してみせた。

「澪ちゃん?」
「まだ食べちゃダメ。まずはお月見、だろ?」
「えぇ~! もぉいいじゃ~ん」
 唇をへの字にして地団太を踏む、唯。
 あぁ、そんな仕草ですら私の胸を高鳴らせているなんて、唯はちっとも解っていない。
 だからなんだかもどかしい。
「お団子は逃げないから。な?」
「うぅ~……解った」
 唯が渋々と頷く。
 それを見て私は「おあずけ」を解いてみせた。
「よいしょ、と」
 お皿をお互いの後ろに置いて、私は再び寝そべる唯の隣に腰掛けた。
 ようやく建前上の目的である満月をじっと見上げる。
「澪ちゃん、今日はありがとね」
 ふとそちらへ目をやって、思わず唾を飲み込んだ。
 唯の顔が――近い。
 いつの間にか唯が覗き込むように顔を寄せていた。
 やっぱり唯は、照れたりしないのかな。……少しだけ寂しい。
 見つめてくる唯に私は微かに笑い返して口を開いた。
「何の事?」
「だって今日は憂がいないからわたし独りなんだって言ったら澪ちゃん真っ先に来てくれるって言ってくれたでしょ。嬉しかったんだぁ」
 唯がはにかむように微笑んだ。
 笑顔を伝染させる微笑み。私の大好きな顔。
 こうしてすぐそばでその笑顔を目の当たりにできる――演奏の時の感覚と一緒だ。
 むしろ私の方が嬉しい。
「そう言ってもらえると、私も来た甲斐があった」
「けど、本当に良かったの? 澪ちゃんは澪ちゃんの家でお月見するはずだったんじゃ……」
「いいんだ。今日は何も予定はなかったし」
「本当?」
 厳密に言うと予定はなかったわけではないのだけれど。仕方がない。
 だって唯と二人で過ごせるなんて。それに勝る予定なんて私には存在しない。
 真っ先に「行く!」って言ったのだって実は律やムギに先を越されたくなくてとっさに口走った『大英断』だったりする。
 案の定、律たちは目をぱちくりしてたけど。
「ほ、本当だから」
「そうなんだ。えへへ、じゃあわたしはラッキーだなぁ」
「どうして?」
「だって澪ちゃんとこうしてお月見できたから」
 唯が照れたように頭をかいて俯きがちになる。
 ……可愛い。いや、知ってたことだけど、今日はこう、いつにも増して可愛い。
 うぅ……唯のらしくない様を見たらこっちまで照れくさくなってきた。
「き、綺麗だな。満月」
 せっかくいい感じなのに。
 こんな月並みな言葉しか思いつかない自分が憎らしい。
「澪ちゃんほどじゃないけどね」
「ふぇっ!? ゆ、ゆゆゆゆ唯っ!?」
 思わず唯を見やるとそこにはさっきまでのしおらしい唯ではなく、いつもどおりの茶目っ気唯がいじわるな笑みを浮かべていた。

「あれー? 澪ちゃん、顔赤いぞー? どーしたのかなぁ」
「か、からかうなっ!! 唯のくせにっ」
「あはは。ごめんごめーん」
 左手をグーにして振り上げたら唯は逃げもせずちろっと舌を見せてニコニコしてる。
 唯は解ってるんだ。私が唯を撲てないってこと。律は撲てても唯にはできないってこと。
 ……面白くない。
 私は唯のやることなすこと全部に振り回されてるのに、唯は私のことを何でも見透かしてるみたいで。
 でもそんな唯も私の心の奥底だけは覗けてない。
 どうして私が唯に手をあげられないのかっていう、本当の理由に。
 それが一番もどかしい。
「まったく……律に似てきたぞ、唯は」
 私なりの精一杯の皮肉を呟いたのに、唯は堪えるどころか首を傾げてピンとこない模様。
「そっかなぁ。でもわたしはからかってないけど」
「え?」
「ちょっとそのままじっとしてて」
 そう言うなり、私の返事も待たずに唯は這いずるようにして家の中に入っていく。
「唯?」
 振り向きざま、唯が私に向けて両手で四角いフレームを作った。
「ほら、やっぱり月が似合うよ」
「ゆ……唯」
「澪ちゃん、かぐや姫みたーい」
 突拍子もないその一言にはさすがに心臓がドクンと跳ねた。
「ゆゆゆゆ唯ッ!?」
「だってほら、黒髪ロングの美女に月といえば、ねっ?」
「いや、ねって言われても、その」
 どうして唯はこんなことをあっさり口に出せてしまうのだろう。
 私と唯は対等じゃない。
 私はこんなに唯のせいでドキドキしてるのに、私はちっとも素直になれなくて……。
 と。上機嫌に笑っていた唯が思いついたようにハッとして、表情が急に強張った。
「み、澪ちゃん!! 月に帰っちゃダメだからね!!」
「へ? ――わっ!」
 浮かない顔の唯がすがるように飛びついてきた。
 私にしがみついて……離れない。
「……ゆ、唯」
「澪ちゃん、帰っちゃやだぁ~」
 思わず頭に手をやっていた。
 あぁ、まったく。これで私と同い年だというのだから驚きだ。
「帰るわけないだろ……私は普通の人間だっ」
「よ、良かったぁ……澪ちゃんに会えなくなったらわたしどうなっちゃうか心配で」
 唯がぴょこっと顔を上げる。
 唯が私と向き合うように体をよじって――そこで気づいた。
 唯が私の髪の端を掴んでいたことに。
 無意識に掴んでいるのだろうか。ピンと張られていて少々痛い。
「だからってそんな髪引っ張らなくても大丈夫だよ」
 そう言うと唯はハッとして、おそるおそる引っ張るのをやめた。
 ――引っ張るのはやめてくれたけれど。私の髪の束はその手に絡んだままだ。
「澪ちゃんの髪って触り心地いいんだね」
 そんなことを唯がいつになくおだやかに囁いた。
 ……夏はもう過ぎたはずなのに。熱帯夜なみに熱い。
「ちょ、ちょっと唯……」
「すりすりってしていい?」
「………………ぅん」
「すりすり~」
 髪に夢中な唯。私の視線を気にする様子すらない。
 私はただされるがまま、唯をじっと観察していた。
「にひひ~……いい匂い」
 唯が締まりのない笑顔でそんなことを呟く。
「ゆ、唯……もういいだろ」
 体の火照りを自覚して、落ち着かない気持ちがますます強くなる。
 これだけ近いと私の心臓の音が唯に伝わってしまってるんじゃないかって……。
「もう少しだけ」
「唯……」
 ……唯の重みを感じる。いつの間にか唯は私にもたれかかっていた。
 けど抗議の声を上げる気にはならなかった。自分でも不思議だった。
 ひょっとするとこの香りが。
 ふんわりした、唯の髪から香る、柔らかで――まるでお菓子を思わせるような甘やかなそれが私の素直じゃない気持ちを解してくれているのかも。
「そんなに、気に入ったのか?」
 つい訊ねてしまっていた。
「うん」
「……お団子よりも?」
 我ながらバカな質問をしていると思う。
 でも胸の高鳴りはそんな思いとは裏腹に激しくなる。
「うん」
「…………そっか」
 飛び上がってしまいそうな気分だった。
 ライブが終わった時と同じくらい……それ以上かもしれないくらい。
 嬉しかった。
「それじゃあ、しょうがないな」
 唯が髪に夢中で良かった。
 だって今の私の顔はきっと人に見せられるような状態でないくらい、酷い。
 だらしない顔するなってよく唯や律に注意してる自分が一番だらしない顔してるなんて唯に知られたら私はもう生きていけないもの。
「しょうがないよ。こんなにつやつやしてるんだもん~」
 褒め殺しに我慢が許容値を超えてしまって。
 言い返そうと大きく口を開いて――そのまま私は固まってしまった。
 視線の先の唯は――私の髪をさも大切そうに手に絡めて、とろけてしまいそうなほど甘く優しい微笑みを浮かべていた。
 そんな唯と見つめ合ってしまっていた。
 だって唯はもっとこう、いつも子供みたいに無邪気というか、だからその、こんな大人っぽい唯の笑顔は慣れてないというか……。
 言葉を探してもなかなか声にはならなくて……
「それは……私のセリフだ」
 やっとのことで出てきたそれは、相変わらず自分らしい月並みな一言だった。

 気づけば唯の頭を引き寄せていた。このまま視線を交錯していたら、どうにかしてしまいそうだったから。
 唯は、驚きも拒みもしない。
 ただ、私の髪を大切そうに梳く唯がいて――たまらずまた月を見上げていた。
 丸い月の中に、さっき目の当たりにした唯の艶めく微笑みをぼんやりと描きながら、ふと思う。

 

 髪はずっとこの長さにしておこう。


 唯を繋ぎとめておくために。